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きぼーる便り

第3回 千葉市ときぼーる

杉山 俊一 Shunichi Sugiyama
(株式会社日建設計 設計部門 室長)

今回、第三回目となる「Qiball(きぼーる)便り」は、株式会社日建設計の設計室長であり、きぼーるの建築を手がけられた杉山俊一さんにお話をうかがいました。設計者ならではのさまざまなアイデアはインタビューする側もとっても勉強になりました。

何も決まっていない中での設計

──当初、中に入る機能が白紙の状態から作業を進めたと思われるのですが、どのように杉山さんは建物を構想していったのでしょうか?

杉山さん:そうですね。最初から建物の内容が決まっていたわけではないですよね。最初は開発企画を担当している都市計画のセクションと再開発の準備組合が、ここの開発手法に関する検討をしていました。それから、ぼくらがちょっとずつ入るようになりまして…。我々設計チームがスタートしたのが2001年でした。
そこの時点で、全ての施設内容が決まっていた訳ではなかったんです。千葉市では科学館と子育て、こどもの交流の場、それからビジネス支援センターですね。それら4つは決まっていました。他は未定でしたね。手探り状態で設計を進めていきましたね。

──建築の最大の見せ場にもなったプラネタリウムも決まっていたんですか?

杉山さん:プラネタリウムは、日本最大級のものを作りたいという話は聞いていました。そうするとそこの部分は、包み隠してしまうか、今回のように見せてしまうか、どちらかなんですね。
今回のプロジェクトはそもそも昭和30年代までは栄えていて千葉の中心街であった、そういう場所の再活性化が一番の目的でした。なので、どれだけ人に一目で覚えてもらえるか、馴染んでもらえるかということを作ろうと、当初から意識していましたね。

──杉山さんが、今回一番神経を使ったのはどのようなところでしょうか?

杉山さん:施設の配置ですね。一番最初にデザインしたときに、建築のパターンは何十パターンもあったんですよ。でも、何十パターンも書いたものを見せても、相手の方も迷ってしまうだけですよね。絶対こうとしかならない、いくつかに絞られるはずなんです。だからこそ、パターンを絞ってみなさんには見てもらいました。そうした捨てられていったパターンのなかで、もっとも苦労していたのがエントランスの置き方、広場の作り方でしたね。当然、一番苦労しました。
このアトリウム広場の部分は、従前には権利者の皆さんが多く住まれていた場所で、それだけ皆さんの思い入れの深い場所ですから、そこをこの建物やまちのシンボル広場、皆さんのエントランスにしようというのが結論でした。