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きぼーる便り

2000〜 「そしてきぼーるへ」

──きぼーるのコンセプトが定まってくるまでの経緯をお話しください。

中村さん:準備組合になり、コンサルタントをつけ、いろいろなことを考えながら、一番可能性の高い事業というのはどういうものかというのを月に1度は一緒に考えるようになったんです。定期的に組合報を作って、会議に出席出来なかった方も共通の情報量を持っていたというのも作業が円滑に進んだ理由の一つです。 そして準備組合から本組合に移るとき、コンサルタントが変わったんです。また千葉市の体制も再開発課から企画課の所管へシフトしたんです。そうした中で『こういう案はどうでしょう?』と提案されたのがプラネタリウムでした。そこからは早かったですね。

──再開発の企画がまとまるまで15年以上かかっているわけですね。これは大変な年月ですよね?

中村さん:一般的に再開発は15年から20年と言われているようですけどね。その間みんな不安だったと思いますよ(笑)。私たちの周りの人、あるいは組合の中の人もそうですけど、『出来るわけがないよ』という声を周りの人から随分と聞きました。『そんな夢物語みたいなこと出来ないよ』といった手厳しいお話も伺いました。でも、『きっと出来るだろう』と私たちは思いながら、今日に至った訳ですけどね。ただ私らの再開発のパターンは、あんまり参考になるパターンではないみたいですけどね。

──他の県例を見ても、きぼーるはオリジナリティー溢れる再開発なのでしょうか?

中村さん:特にスピード面において。15年が長いか短いか分かりませんが、再開発を決定してからの壊し始めまでの早さ、これは例えば権利返還などで、もっと時間が掛かると言われています。その辺りは皆さん紳士だったのでしょう。すんなりとしたものでした。あるいは代替地とか代替店舗だとか、そういったものを細かくフォローしたのも良かったのでしょう。そもそも当初から、再開発をやるのなら関係者が全員良い結果となるのが前提だったので、皆さんが『良かったね』って思っていただける再開発になったのは嬉しかったですね。そういえば、かつて花柳界だった場所が、正反対の内容の場所になりましたね(笑)。これも時代ですね。